毫攝寺(越前市)概要: 出雲路山毫攝寺は福井県越前市清水頭町に境内を構えている真宗出雲路派の寺院です。毫攝寺の創建は天福元年(1232)、親鸞聖人が京都出雲路(京都山城国愛宕郡:現在の京都市左京区)に草庵を設け善鸞上人(親鸞の長男)に与えたのが始まりと伝えられています。
その後、乗専(本願寺3世覚如の門弟)により京都今出川に移し寺号を毫摂寺に改め寺院として開山しています。第5代善幸の時代に門徒の懇願により鯖江山本に移ると関係の深かった証誠寺(鯖江市)と境内を共にしました。
善鎮上人の代に毫摂寺は再興され山元庄に境内を構えると永正15年(1518)に後柏原天皇、天正17年(1589)に後陽成天皇の勅願寺となり越後国の真宗布教に大きな影響力を持ちました。天正3年(1575)、一向一揆と織田信長の兵火により大きな被害を受け、さらに証誠寺との本寺争いが起きています。本寺争いはすさまじく、双方、放火や打ちこわしが行われ領主である本多家の裁きを受けています。
慶長8年(1603)に現在地に移り三門徒派の本寺となり出雲路派本山になると再び隆盛し、現在でも境内には御影堂(明治17:1884年建築、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、正面3間向拝付)、御影堂門(文化8年:1811年建築、切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門)、阿弥陀堂(明治17:1884年建築、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、梁間5間、正面1間向拝付)、阿弥陀堂門(文化8年:1811年建築、切妻、銅板葺、軒唐破風、一間一戸、四脚門)、経蔵(文化8年:1811年建築、土蔵平屋建、宝形造、桟瓦葺、下屋庇銅板葺)、鐘楼(文化8年:1811年建築)、太鼓楼(天明8年:1788年)などが整然と並び真宗十派の出雲路派本山本山の格式が感じられます。
毫攝寺の寺宝である光明号本尊は南北朝時代に製作されたもので絵画的、宗教信仰的に価値があるとされ昭和44年(1969)に越前市指定文化財に指定されている他、染野井の局が植えたと伝えられる推定200年の毫攝寺ヤマモミジが昭和45年(1970)に越前市指定天然記念物に指定されています。
又、毫攝寺は与謝野晶子の歌( 毫攝寺 東大門の 導かれ 山風は撒く 米金の紅葉 )の題材になったことでも知られています。山号:出雲路山。宗派:真宗出雲路派。本尊:阿弥陀如来。
毫攝寺:上空画像
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