誠照寺(鯖江市)概要: 誠照寺は福井県鯖江市本町に境内を構えている浄土真宗誠照寺派の寺院です。誠照寺の創建は鎌倉時代の承元2年(1208)、親鸞が流罪で越後国(現在の新潟県)に向かう途中、この地を訪れ当時の領主波多野景之に説法したのが始まりと伝えられています。当初は「車の道場(現在の上野別堂)」と呼ばれる道場でしたが、妙覚が楚を築き弘安2年(1279)に寺院が造営され、元応3年(1321)に現在地に移り寺号を真照寺としています。
永享9年(1437)に後花園天皇の勅願を受け現在の寺号である誠照寺に改称、戦国時代に本願寺と対立したことで織田信長に協力し、一向一揆が平定されると北の庄城の城主となった柴田勝家から庇護されます。織田家の家督争いで羽柴秀吉が北の庄城に侵攻すると勝家側に付いた誠照寺も兵火により焼失し、多くの堂宇が破却されました。江戸時代に入った元禄6年(1693)、寛永寺の傘下に入り天台宗に改宗し再興、幕府からも朱印状が与えられます。明治11年(1878)に独立し真宗誠照寺派の本山として信仰を広め越前4ヶ本山の1つに数えられています。
誠照寺の山門は安永8年(1779)に建てられたもので四脚門、入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚門としては福井県内最大規模を誇り、随所に見られる彫刻装飾は日光東照宮(栃木県日光市)の陽明門に例えられ、「北陸の日暮しの門」や「鳥すまずの門」などと呼ばれています。誠照寺の鐘楼は弘化3年(1846)に建てられたもので、柱間4.19mの四本柱形式、基壇部は袴腰形の石積み、四本柱形式の鐘楼としては福井県内最大級で彫刻装飾や組物などの意匠も豊かな造りになっています。
阿弥陀堂は明治10年(1877)頃に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行12間(17.688m)、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、向拝には精緻な彫刻が施されています。御影堂は明治10年(1877)頃に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行16間半(30.120m)、梁間15間(25.07m)、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、向拝には精緻な彫刻が施されています。
誠照寺には文化財も多く四足門、紙本金地著色日月松楓図、刺繍阿弥陀如来像、髪繍六字名号が福井県指定有形文化財、鐘楼、御影堂、阿弥陀堂、洪鐘(梵鐘)が鯖江市指定文化財に指定されています。山号:上野山。宗派:浄土真宗誠照寺派。本尊:阿弥陀如来。
誠照寺:上空画像
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