・清永館が何時頃築かれたのかは不詳ですが、「越前国名蹟考」によると戦国時代には越前守護職の朝倉家の家臣だった伊勢帯刀が屋敷を構えていたとされます。
伊勢氏がどの様な氏族かは判りませんが、永正3年に朝倉家と加賀一向一揆衆との戦いで、朝倉勢が高木口で迎え撃った「河北ノ衆」に伊勢帯刀の名が見られます。
さらに、天文21年に朝倉勢が加賀国に侵攻した際に国人領主の1人として伊勢氏が参陣しています。
小字名として「舘」、「南垣内」一帯が伊勢氏の居館があった所と推定され、明治32年まで「南垣内」には神明宮が鎮座していたとされます。
社号から察すると伊勢神宮(三重県伊勢市)の祭神である天照大神が祭られていたと推定され、伊勢氏が同じ「伊勢」の神として奉斎していた可能性があります。
清永館の隣地に鎮座している清永白山神社の境内には天文13年に藤泰兵衛が願主となり奉納された高さ3.3mの石造九重塔(坂井市指定文化財)があり、境内の位置や年代から当館主である伊勢氏と関係があるかも知れません。
館は連立式復郭構造とされ、集落内には「辰ノ腰」や「門口」の小字が残され当時の名残が感じられます。
ただし、堀や土塁等の目立った遺構は宅地化や田畑となり失われています。
福井県:城郭・再生リスト
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