・天王陣屋は明和2年に西尾藩主松平乗佑に設けられた西尾藩の飛び地支配の為の行政機関です。
明和元年、当時山形藩主だった松平乗佑は幕府から大坂城代に任命され、それに伴い西尾藩6万石で移封となりました。
しかし、西尾周辺には2万7千石分の知行地しか無かった事から、その不足分として越前国の丹生郡内41ヶ村、坂井郡ない18ヶ村、南条郡内13ヶ村、合計72ヶ村3万7千石が宛がわれました。
天王陣屋は上記の西尾藩の越前国内の飛地を管理する為に設けられたもので、藩からは大代官や、目付、手代役等が派遣されました。
天王村は各郡に分散していた飛地の粗中央に位置し、陣屋の建設にあたっては天王村の郷中惣代筆頭の内藤武左衛門が敷地を提供し、同村の高橋重兵衛が工事の普請役を担いました。
特に磯野助之丞が名代官だったとされ、安永元年に地方役として天王陣屋に赴任、寛政2年には大代官に昇格すると水田干害を防ぐ為に、灌漑工事等に尽力し領民を救った人物として知られています。
天王村の鎮守である八坂神社は藩主松平家の祈願所となり、例祭には藩主の代参が行われ、社殿の修築や神門の寄進、新撰料の奉納等が行われています。
実相寺は西尾藩で当地に赴任中に亡くなった藩士や家族の菩提寺で、境内には複数の関係者の墓碑が残されています。
明治4年に施設の老朽化等により天王陣屋が廃止になると、改めて野田出張所が設けられています。
天王陣屋での治世は他領地と比べると領民に優しい仁政が行われていたようで、明治9年には陣屋の鎮守だった稲荷社が修復され、その傍らに「松平和泉守霊位追福墓」が建立されています。
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